ぶるずあい

腐れ学生のブログ

こじらせる

恋愛を経験していないと、本当に「気持ち悪い」男になるらしい。身をもって実感している。

 「気持ち悪い」のは容姿についてではなく、客観的に見たここ最近の自分の精神状態についてだ。こんなブログ記事を書いてるのも相当気持ち悪いと思う。でも「自分がキモオタであることをキャラにして、女叩きをする」のが面白いという風潮に支配されてるTwitterじゃないんだからいいだろう。偶には気持ち悪いことも女々しいことも書きたい。

 

 よく「彼女が出来ないのではなく、作らないだけだ」という主張に対して、「モテない男のいい訳だ」「彼女を作る努力もしないくせに」という揶揄を目にする。

 

 そんな応酬を目にするたびに、「俺はどうなんだろう」と考えた。考える度に、心のどこかで、誰かの姿がちらついた。

 

 高校、大学と彼女を作ろうと積極的に行動したことはあっただろうか。多分無かった。ならそれは何故だろうか。めんどくさいからだろうか。恐らく違う。過去の恋愛感情に今まで執着してたからだ。

 

 ふとしたきっかけで、幼なじみを好きになる、なんてのはラノベやアニメの話では定番だが、現実でもままある事象だから定番になるのだと思う。自分がそうだった。小学校ではずっと一緒だったのに、中学で違うクラスになったことで何故か自分の気持ちに気づいた。かと言って何か行動を起こす訳でもなく、拒絶されるのを恐れて、居心地の良さを優先した。

 

 そのまま別の高校に進学した。少しだけメールでやり取りをしたり、彼女のバイト先のコンビニ(俺の家から一番近いコンビニだった)で偶に顔を合わせたくらいで、またしても何も行動しなかった。風の噂で「彼氏が出来たらしい」と聞いても、「まぁ高校生だしそれなりに可愛いんだから彼氏が出来るのも当たり前だろうな」としか考えなかった、ように思い込んでいた。まだ心のどこかで「彼女と付き合えたら、楽しいだろうな」とうっすら考えていた。けれどそれは半ば諦めとも言えるような薄い思いであって、別に四六時中恋い焦がれる頭がお花畑の恋愛脳という訳でもなかった。

 

 この時点で完全に「待ち」の姿勢になってしまっていた。シンデレラ・コンプレックスの男版とでもいえばいいのだろうか。いつか、ラノベのような事が自分に起きてくれないだろうか、空から美少女が降って来ないだろうか、そして偶に、あわよくば幼なじみが俺に振り向いてくれないだろうか、そんな事ばかり考えていた。

 

 こじらせた男が完成した。大学でもそれは変わらなかった。むしろより酷いことになっていたかもしれない。

 

 だからこそこの「こじらせた男」は今、困っている。状況が急変して、困っている。

 

 何がきっかけかは忘れたが、幼なじみと頻繁に連絡を取り合うようになった。2人だけで出かけ、買い物をした。最近は彼女のアパートに、2人きりでいるなんてこともあった。

 

 彼女と会う時にはなんでもない風を装っているが、内心は不安で不安でしょうがない。コインランドリーの大型乾燥機の如く、ぐるぐると考えが回る。どうして今になってこんなことになっているのだろう。どんな話をすれば楽しんでくれるだろう。彼女は何を思って俺と一緒にいるのだろう。俺は、どうすればいいのだろう。

 

 自分が情けなくて仕方がなかった。居心地の良さがたまらなく幸せで、壊したくない。俺は彼女が好きだ。だけど彼女が何を考えているのか、分からない。ひょっとしたら彼女も俺と同じ気持ちかもしれないし、ただの気安く話せる幼なじみだと思っているのかもしれない。

 

 俺はかなり「気持ち悪い」男になっていた。自分が傷つきたくないがために何もしようとせず、ただ果てしなく考えを巡らせる。こんなことでは何もかもハッキリせずに終わってしまう。

 

 少しずつ自分を変えなければならない、変えるべきなんだろうか。キモい男の頭の中はまたぐるぐると回っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓ガラス

内定も貰い、卒論もなんとか形に出来て、あとは何もトラブルが無ければ、大学を卒業することになる。

 

 入学してからの4年間、あっという間だった。最後の講義を終えて、帰り道のモノレールに揺られている間、窓ガラスに写っている自分を見てふと思った。「俺の学生生活は充実したものだったのだろうか」と。

 

 そもそも何をなせば充実していたと言えるのだろう。小遣い稼ぎのアルバイト、殆ど顔を出さなかったサークル活動、泣きそうになりながら必死で書き連ねる期限ギリギリのレポート。アイドル声優に熱をあげ、自滅した。何にしても中途半端だったが一通り経験した。けれども空虚だ。何かが足りない。

 

 恋愛だ。色恋だ。異性とのイチャイチャが無かった。

 

 大学入学当初は、まだ見えない「何か」を期待していた。これからの4年間、東京で一人暮らし。経験したことが無い、楽しいことや、悲しいことで満ちあふれていると。ひょっとしたら彼女の1人や2人出来るかもしれないなぁ、なんて。

 

 毎日モノレールの窓ガラスに写る自分を見ては、「今日は寝癖がついてるなぁ」、「髭をちょっと伸ばしてみるか」、「さっきのゼミでの受け答えは良くなかったなぁ」と色々なことを、本当に色々なことを逡巡していた。殆どは他愛も無いことだが。

 

 窓ガラスに写る姿が、ひとりから、ふたりになることは無く、4年間は終わろうとしていた。

 

 

 

 

むかしばなし

むかし、あるところに一人の男がいました。

その男は紙芝居と演劇がだいすきでしたが、毎日を退屈にかんじていました。

あるとき、とある劇団がたいへん人気であるらしいという噂を聞きました。

男は噂の劇団に興味がわき、観に行く事にしました。

劇団は女のひとだけで構成され、美しいひとばかりでした。

そして男は驚きました。

なぜなら、男がだいすきな紙芝居と全く同じ内容を、歌って踊る演劇でひろうしていたのです。

男はたいそう満足し、すぐにこの劇団に夢中になりました。

お金がなかった男は暑い日も寒い日もがんばって働いて、かせいだお金を演劇だけにつかいました。

しだいに男には、劇団の女のひとたちは天女のような存在に思えてきました。

男は毎日がしあわせでした。こんなにたのしいことがずっと続けばいいのにと思いました。

しばらくたち、ある噂が流れはじめました。

劇団の女のひとと似ているひとが、悪い別の劇団でも演劇をしているという噂です。

男は、そんなはずはないだろうと思いましたが、たしかめる為に悪い劇団にも演劇を観に行きました。

するとなんとそこでは、確かに夢中になっていた劇団の女のひとと、瓜二つの女のひとが演劇をしていました。

しかも、それはひとびとに嫌われる悪い演劇でした。

噂はすぐに広まってしまい、ほんとうの事が分からないままに、夢中になっていた劇団は解散してしまいました。

男は食べ物がのどをとおらないくらい悲しみました。

そのころ世間では、たいへんな人気だったあの劇団と同じような演劇をいろんな場所でするようになっていました。

むかしのしあわせだったころが忘れられない男は、いろいろな劇団に演劇を観にいきましたが、どうしても夢中になることができませんでした。

男は、自分が怖がりになってしまっていることに気付きました。一度しあわせになってから、それが無くなってしまうことを怖がるようになってしまったのです。

男は考えました。考えた末に、それなら最初からしあわせな気持ちにならなければいいと思いました。天女のようなひとはいる訳がないのだと思うようになりました。

しだいに男は紙芝居も演劇も観なくなってしまいました。

男はたいくつに感じていたむかしよりも、もっとたいくつになってしまいました。

 

 

おしまい。

 

内定

久しぶりにブログを書く。

地元の公務員の内定をもらう事が出来た。今年の最終倍率は例年よりも低く、団塊世代のリタイアが重なるため、タイミングがドンピシャだったのだと思う。

今だから白状するが、公務員試験の勉強は本当に殆どしなかった。というより、去年の年末から色々と精神的にキツい事が続き、勉強が手につかなかったのだ。まぁ言い訳にしかならないのだが。

とはいっても、地方公務員採用の筆記試験なんてものは大して難しいものではなく、勉強しなくても受かるものなのだと言う事がはっきりした。面接のマニュアルなども一切読まなかった。面接には自信があった。

 

昔から民間企業への就職は考えていなかった。小学生の時分から「今の時代、公務員というものが安定なのだ」と刷り込まれていたのだからまぁ無理も無い。しかしぼくの両親は公務員になれとは一言も言わなかった気がする。それなら一体「誰」いや「何」に刷り込まれていたのだろうか。自分が思い込んでいただけなのだろうか。

 

まぁそんなことはどうでもいい。

少しだけ後悔している点は、東京を離れてしまう事だ。地元は東京からさほど離れてはいない分まだマシなのだろうけど。

 

今の自分に、「秩序を守る立場」になる事に何のためらいもない。楽な仕事では無い事は百も承知だし、責任も重い。それでも、自分はこの道を選ぶ運命だったと感じている。

 

 

 

『シン・ゴジラ』感想①

今日公開となった『シン・ゴジラ』を鑑賞して来た。購入したパンフレットも読まず、鑑賞直後の熱だけでこの記事を書く。

ゴジラで織りなされる『喜劇』

上映開始直後から東宝スコープロゴの3連続、この時点でニヤニヤが止まらなかった。そして初代ゴジラを意識したタイトルとあの身の毛もよだつ咆哮。正直もうこの時点で絶頂しそうだった。

本編開始から庵野のテロップ芸連発。テロップは本編中ずっと続く。突如として、東京湾に巨大不明生物が出現。都内まで侵攻する。しかし生物の全景はわざと中々見せない。右往左往する内閣、大臣たち。さながら核爆弾をゴジラに置き換えた『博士の異常な愛情(また私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか)』である。

不明生物は形態を変化させ、第二の形態(厳密には第三形態らしい)に変化。恐らくこの時点で攻撃を仕掛けていたらまだ遅くなかったかもしれない。

 

◆最強最悪のゴジラ

今作の『ゴジラ』はまさに歴代最強といってもいいだろう。庵野の「ぼくがかんがえたさいきょうのごじら」といった感じである。良いぞもっとやれ。

その生態は今までにない事尽くし。形態変化。弩級の大きさ。悪魔を思わせるデザイン。

そして何よりもその圧倒的攻撃力だ。なんだあの熱線は。ヤバすぎるだろ。火炎放射→破壊熱線→火炎放射→尾ひれからの全方位破壊熱線の流れに全俺が泣いた。しかも後半では尻尾からも熱線を放出するときた。

 

◆物語の動かし方

ゴジラに対抗するため様々な役所、関係機関が動く事になる。今回の主人公は政治家である。話の動かし方に面白さとリアリティを感じるのは、「利で人が動き、人で物語が動く」からなのではと感じた。役人のポストにメンツ、その他様々な利益がストーリー上で動く。もちろんゴジラという災害に対し一致団結するのはニッポンがこのままではヤバいからだし、感動的でもある。しかしそれはそれ、これはこれ。なんだかんだで、皆が裏で野心を秘めていたりする。どんな時に置いても悪さの人間らしい面を描くのは、非常に評価できる。

 

 

取りあえず今はこれだけ。100点満点なら95点。大傑作であるだろう。是非観て欲しい。こんな映画作れるのは滅多に無いんじゃないか。あとエンディングで『ゴジラVSメカゴジラ』のテーマ流したの、ほんとに最高だと思う。

 

笑うな危険

最近なにかと話題の映画「帰ってきたヒトラー」を観てきた。ぜひ観て欲しいのだけど、ちょっとネタバレありで感想を書こうと思う。

ぼくは政治に疎いし、これといった思想も持ち合わせていない。でも大半の日本人なんてそんなもんだろう。政治と宗教とどこの野球チームのファンかは、話題にしてはいけないのだと昔から言われているくらいだ。

そんなぼくでも、最近のヨーロッパがきな臭い事になってるのは何となく分かる。ギリシャの破綻、移民・難民の大量流入。あげくにイギリスのEU脱退。EUに加盟している国の中で、特にドイツの負担が相当重くなって来ている...らしい。

 

◆コメディだけじゃない。

欧州ではタブー視されているヒトラーを題材にしているのだから、当然にブラックなジョーク(人種など)が多く、またヒトラーが現代の技術や文化に困惑するのも面白い。しかし彼はヒトラー、ちょびひげは伊達じゃない。困惑するだけで終わる男ではではない。お得意のプロパガンダをインターネットにも応用させ、あらゆる人々の関心と注目を集めていく。

最初は誰もが本物だと思わないし(当たり前だが)嘲笑し、失笑する。毛嫌いする者だっている。それでも彼は大真面目だ。本気でドイツを、「ドイツ人」を再び救おうと考えている。

 

◆現実と虚構が曖昧になっていく。

不思議な感覚だった。昔MGS2をプレイした時以来に久々に感じた、あの感覚。映画の流れとしてある種メタ的なシナリオである事も相まっているのだろうだろうが、まさに心が「虚構に飲み込まれていく」のだ。というのもヨーロッパの現実が笑えない状況に陥り始めているからなのだろう。

 

◆まとめ

ラストシーンがたまらく恐ろしい。「私が化け物だとしても、選んだのは民衆だ」その通りだった。誰だって、いつの時代だって、強くて頼れる指導者を欲するのだ。不気味な笑みを浮かべて「今こそ絶好の状況だ」とつぶやく。そしてヨーロッパの行く末を暗示するかのような実際の映像。

 

彼は既に、現代に帰ってきているのかもしれない。