ぶるずあい

腐れ学生のブログ

『いまが最高!』

ちょうど1年前の今日、2015年6月13日はぼくにとって忘れられない日である。『ラブライブ!The school idol Movie』の全国ロードショーが始まった日である。

完全新作劇場版の製作発表からおよそ1年、SAAで開催された5thライブで1stトレイラーが公開されて4ヶ月、劇場版のことだけを考えて生きていた、といっても過言ではなかったかもしれない。それぐらいに楽しみにしていた。

鬼のような前売り券商法に全力で乗っかり、通算で21回劇場に足を運んだ。そして毎回号泣していた。当時のぼくはハッキリ言って異常であった。でも幸せだった。人生で一番楽しかった時期のまさに絶頂期だったかもしれない。

今回は当時の事を思い出しながら、公開から1年が経ったので軽く劇場版をレビューするという形式にする。

今でも当日の事を鮮明に思い出せる。まず眠れなかったこと。何かが楽しみで寝付けない、というのは初めての体験であった。それでもなんとか目を瞑り、意識を深層に落とそうとする。目が覚める。1時間しか時が経っていなかった。あれ程時の流れを遅く感じた事は無かった。そのせいで新宿ピカデリーに出かける時の体調コンディションは最悪だった。入り口からラブライブ仕様になっていた新宿ピカデリーはとにかく人、人、人。身動きもろくに取れないほど混雑していた。上映時間になりシアターに入場する。不思議な事に席に着いた瞬間、最悪だった体調は嘘のように回復した。「こんなことがあるのか」と半笑いだったのを覚えてる。

いよいよ上映開始。大筋の内容は説明しながら書くが、今作の見所はライブパートである。NYを訪れたμ'sのメンバーは観光がてら、ライブをする場所を見定める。しかしその途中雨に振られてしまう。暗澹な表情のメンバーの中から凛ちゃんが「大丈夫だよ!」と飛び出し、唐突に『Hello,星を数えて』のパートが始まった。驚いたと言えばそうなのだが、この演出、アニメ版『ラブライブ!』とはどういった作品なのかを改めて提示しているのである。

雨模様のNYの街並みを、ミュージカル映画『ウエスト・サイド・ストーリー』、『雨に唄えば』を彷彿とさせるダンスで、一年生組が可愛く歌い、踊る。そう、『ラブライブ!』は気持ちや、感情を歌と踊りで表現しようとする、ミュージカル的側面を持つ作品なのである。ぼくはすぐにその演出の意図が理解出来たと同時に、凛ちゃんの反則的なデコ出しの可愛さに心を奪われてしまったのだった。

そして、穂乃果がμ'sのメンバーからはぐれてしまい、謎の女性シンガーと出会う。穂乃果はその女性シンガーに問いを暗示される。「どうして歌うのか」、これには後々μ's自身で答えを出す事になる。

μ'sと合流した穂乃果。翌日に本来の目的であったNYでのライブが開催される。

世界最大規模都市の喧騒と、電光掲示板の光で溢れるタイムズスクエア。和服をモチーフとした衣装に身を包んだμ'sが映り、喧噪は一気に静寂へと変わる。何度も繰り返して観たトレイラーで流れていた、「あの曲」が始まるのだ。目に焼き付けよう、永遠の宝物にしようと思った。遂に『Angelic Angel』のライブパートが始まった。曲が流れて数秒で、全身の肌は逆立ち、涙が流れて来た。センターは絵里。妖艶な表情のアップが入り、度肝を抜かれる。アメリカのNYで、ロシアンクォーター美少女が、和服をモチーフとした衣装で光る扇子をぶんぶん振り回している。これもうわかんねぇな。

ライブパートはタイムズスクエアと、恐らくライブの練習をした場所なのであろう芝生が敷かれたセントラルパークの映像が交互に繰り返されるという斬新な演出。エロティックなギターコード。『Angelic Angel』のライブパートは最高峰の出来だった。後で分かった事だが、『Angelic Angel』はμ'sの全楽曲の中で唯一、打ち込みではない生演奏での収録だったようだ。

帰国すると、NYのライブの大成功を受け、μ'sの人気は急上昇していた。μ's自身が困惑する程にである。そこで正体を隠してアキバを抜けると言う流れで『?←HEARTBEAT』のパートが始まる。3年生組がコミカルに、今の状況に困惑している事を歌い上げる。ぼくの好きな希がハチャメチャに可愛い曲である。余談だが、FINALライブで披露されたこの曲を、ぼくはかなり近い距離かつ真正面で観る事が出来た。最高だったとしか言えない。

 

ここからはシリアスな場面が続く。もはやアマチュア扱いのスクールアイドルという小さい枠を飛び越え、高い評価を受ける事になったμ'sは、様々な方面から存続を願われる事になる。存続を穂乃果に打診する南理事長の机の上に、「永遠に枯れる事のない」造花がさりげなく置かれていたのが象徴的であった。今後についてμ'sのメンバーは、過去に結論を出していた。「3年生の卒業と同時にμ'sは終わりにする」と。その結論に揺らぎが出てくる。そもそも3年生は既に卒業しており、現状はロスタイムのようなものである。確かに『μ's』の形を変え、存続させていく事は可能であり、事実そういったグループがいることは劇中で説明されている。「周囲の期待に応え、μ'sを存続させる」のか「μ'sを終わらせ、9人だけの永遠にするのか」。9人が選んだのは後者だった。自己本位な選択である。だがそれが非常に良いのだ。輝きを掴んだ青春を、自分たちががむしゃらに、楽しみながら駆け抜けた1年間を、彼女たちだけのものにしたことを、誰にも批判する事など出来ないはずである。そしてこの選択は前述の女性シンガーの問への答えでもあるのだ。「何よりもまず自分たちが楽しいと思えることを優先する」のである。「楽しいから」歌って踊るのである。単純なように思えて、これは重要な要素ではないだろうか。

 

そして穂乃果たちはスクールアイドルの熱気を次代につないでいく為に、周囲を巻き込んでアキバで合同ライブを開催するという計画を練る。ここで「そんな事出来る訳ないだろ」「道路使用の許可とか、衣装どうすんだよ」と考えたら負けである。ラブライブの世界は半分ファンタジーである事を忘れてはいけない。

合同ライブを企画する段階で2年生組による『Future Style』が披露される。TVアニメ1期1話の『ススメ→トゥモロウ』を思い起こさせる桜が咲き乱れる校門前でのライブパートとなった。もう彼女たちの目に迷いは無かった。あとはひたすらに目標に向かって突っ走るだけである。それでこそ穂乃果が引っ張るμ'sなのである。

 

準備は順調に進み合同ライブ当日。μ'sは9人そろってアキバまで向かう。そしてアキバに集合した全国のスクールアイドルを観て、その人数に観客も驚愕するのであった。あの人数は半分ギャグと捉えるべきだろうか。ここの流れはにこが印象的であった。にこはアキバに向かう際、一番最後に合流する。絵里の台詞「誰よりも先にずっと待っているはず」は、にこはμ'sに加入するまでは、非常に孤独な存在であったという事実も含めているのだ。アイドルへの思いが強すぎるため、理想が高かった。そのため以前に組んでいたグループは離散してしまっていた。そんなにこに、ようやく穂乃果という「思い」が対等な存在が現れた。にこにとって、μ'sは言葉では言い表せないくらい特別な存在なのである。そしてアキバに集まった師団単位たくさんのスクールアイドルを目の当たりにし、にこは「こんなに...」と目を潤ませる。ずっと孤独だった過去と、思いを一つにするたくさんの仲間がいる今が、頭の中で交差したのだろう。

 

「ワレワレハヒトツ」で気が抜けるが合同ライブ曲『SUNNY DAY SONG』が始まる。なんとフルコーラスサイズでお披露目である。衣装は赤と黄を基調とし、トランプのスートをモチーフとした、ストレートかつ王道なデザイン。このライブパートは「楽しいのに涙が出る」不思議な空間であった。もうぼくの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。ファンだったら心に来るような演出が盛りだくさんで、書ききれないほどである。

ライブを終わらせ記念写真を撮るスクールアイドルたち。最高の瞬間を一枚の写真に収める。写真を撮るというベタで王道な演出が、ぼくには深く突き刺さった。彼女たちはまたしても大きな事を成し遂げたのだった。

 

 

そして時は流れ亜梨沙や雪穂が音ノ木坂の3年生となり、新入生にμ'sの伝説を語るという形で物語は幕引きとなる。ここの場面はBGM『Days Have Passed By』でぼくは既に泣いてしまっていた。μ'sは物語の中で本当に終わったのだった。二人の「μ'sの最後のライブは...」の台詞の後、最後の楽曲にしてEDである『僕たちはひとつの光』のライブパートになる。

その出来映えについてはもはや神懸かっていたというレベルであった。μ'sのメンバーの名を潜ませ、全力で泣かせにかかってくる歌詞。μ'sの最後にふさわしい湿っぽくならないほどに明るく、それでもどこか切なくなる絶妙なバランスの曲調。もはや手書きと見分けがつかないほどの出来の3DCGモデルで繰り出されるダンス。「いつかは散る事になるが、だからこそ美しいと言える」花をメインとした映像演出。全てが最高であった。

この『僕たちはひとつの光』は非常に興味深いライブパートである。半分ファンタジーであり、ミュージカル的要素を備えたこの作品の中で、果たしてこのライブはどの次元で行われたのだろうか。つまり

・「物語と全く関係がない、映画の観客である我々に向けた、いわば夢の中のライブ(ミュージカルとしてのライブ)」

なのか、それとも

・「ドーム開催が決まった第三回ラブライブに、ゲストで出演したという物語の延長線上のライブ(彼女たちの現実世界のライブ)」

一体どちらなのかということである。

前者である根拠として、あまりにも演出が現実離れし過ぎている、本当にファンタジーの世界のような演出が多様されている、ことが挙げられる。確かに「昼と夜が一瞬で入れ替わる」「綿毛のようなオブジェクトがいくつも宙に浮いている」などやりたい放題である。

逆に後者の根拠として、劇中において「ドームにゲストとして呼ばれる」「真姫が『僕たちはひとつの光』の作曲をしている」ことに言及している点が挙げられる。

つまり、どちらでもあり得るのである。いやそれ以上に答えは簡単であった。

 

『前者の説と後者の説、両方の意味を含めたライブである』ということではないだろうか。これならまさにラブライブ!の最後に相応しいのではないだろうか。『現実と仮想世界とを限界までリンクさせる。』ことが最大の強みであるこの作品の最後を飾るライブとして。もし本当にそうだとすれば、脱帽である。ラブライブ!として、最高の終わり方であるといえるだろう。

 スタッフロールが流れた終わり、劇場が明るくなった後もしばらくは席を立てなかった。周りはぼくと同じように涙で目を腫らしたオタクたちでいっぱいだった。そして全員が「何か信じられないようなものを観た」といった表情であった。恐らくぼくもそんな顔をしていたんだろうな。

眠い頭で書いたため非常に偏った、ちぐはぐなレビューになってしまったが、ここでひとまず終わらせようと思う。何はともあれ、この映画はぼくが生涯で一番多く観た映画になったことは間違いないだろう。時間とやる気があればもっと詳細なレビューを改めて投稿したいなと思う。とりあえずおしまい。